亀さんのイサーン奮闘記 (4)

もし、・・・・・もし、出迎えが無かったら、どうしただろう、もし、何処かに連れて行かれたら、そんな事は考えていなかった
ただ、タイで、年金で暮らす事だけ、もう、日本には帰れない、帰らない、行く所も無い、紹介者を100%信じていたから
出来たと思う、10時間走って来たノンポーク、田舎だと言うことは見れば判るが、東北地方(イサーン)の代名詞があるとは
イサーン、貧困の地、終戦後の日本に似ている、タイだと、思っているが、大人達が話す言葉が違う、イサーン語だという
イサーン語、どうも、ラオス語のようだ、私の辞典には無い言葉だ、タイ語も出来ないのにイサーン語、年齢からいっても
覚えるより忘れる事が多いのに困ったものです、イサーンには大きな会社、工場など有りません、農業が主です、
主と言ってもお米が年1回獲れるだけです、その、お米はもち米、イサーンでの主食(カオニャオ)です、ガイヤーン(焼き鳥)
ソムタム、パパイヤを使ったサラダ、が日常の食事です、タイ人は外食をしますが持ち帰りも、多いです、外食、麺類の
クイッテオ、蒸し鳥味付けごはんカオマンカイ、などが定番です、クイッテオもカオマンカイも今は一食、30~35バーツです、
90円~100円です、労働の事ですが、田、畑、の有る人はいいですが、無い人の方が多いです、無い人はバンコク方面に
働きに行きます、男性は運転手が多いです、バンコクのタクシーのドライバーはイサーン人が50%以上と思います、
女性はバンコク、パタヤ、プーケット、に行き仕事をしていますがお金を稼ぐのに一番早いのは夜の仕事です、
夜の仕事で日本人観光客と知り合い結婚?、子供が出来て、今、話題になっている父親探しです、話題になった人は
氷山の一角です、男と女、騙し、騙されているのです、田舎で働く人の収入ですが、仕事があって、一ヶ月4000~5000バーツ12000円~15000円位です、1日は150~180バーツが相場です、450円~550円、です、  続き読む?


Posted by まさる. at 2009年08月08日14:30

亀さんのイサーン奮闘記 (3)

ひょんな事から、始まった亀さんのタイの暮らしをこれから皆さんにお届け致します、タイ、東北地方(イサーン)のロイエット県
小さな田舎町?ノンポーク、何も知らないで来た所、言葉も、文化、習慣も、毎日の生活様式も判らないまま暮らし始めました
この暮らしの始めは、年金暮らしの出来る所を探している時、日本で日本に住むタイ人に紹介されノンポークの女性と再婚
(写真見合い)で結婚しました、その前に、タイに下見に来ましたが下見をしたのはバンコク、チェンマイ、でした、
下見をしてタイなら僅かばかりの年金でも暮らす事が出来ると思い決断、情報収集している時女性を紹介されたと言うことです
紹介して貰いましたが、タイの何処か教えて貰えませんでした、紹介者を通して日本で婚姻届を出し、年金の受給銀行も
決めて、2回目の訪タイが、タイの暮らしの始まりです、日本の暮らし64年がスーツケース1個とキャリーバック1個になって
タイに来ました、相手の女性は写真で見ただけで会った事は有りません、紹介者の指示で、ドムアン空港に着いて
税関を通ったら左側に出るようにいわれました、写真で見た女性が迎えに来てくれました、言葉が出ません、判らないのです
女性の子供(息子)と一緒に車の所に行き荷物を載せ走り始めました、時間は夜中の12時頃、ドムアン空港をでて
家に向かったのですが、走れども、走れども、・・・・朝、10時、家に着きました、同じような景色の中を何時間も走って
ようやく着いたのが、小さな田舎町、ノンポークでした、見るもの、言葉が珍しかった、
小さな日タイ辞典と旅のガイドブックを見ながらの暮らしが始まりました、 5年過ぎても辞典は手放す事はありません
5年前の訪タイした時の行動、今、思うと、ゾ~、とします、ただ、暮らす事だけが頭にあり、一杯でした。
その時の事、思い出してこの次書き込みます。





   


Posted by まさる. at 2009年08月08日10:00